中学、高校くらいまではコピー機みたいに目で見たまんまそっくりに描きたいと願ってた。今なら見たまんまやったら絵描かんでも写真でええやん、って感じだけど。

 絵を描きたいという気持ちはあったけど、何を描きたいのかわからなくて、写真の模写ばかりしていたっけ。

 芸大・美大を受験したけど全部すべった。

 技術が足りないんだからしょうがないけどかっこわるくてくやしくて、「くっそ〜、二度と受験のための絵なんか描かねえ! 自分が心から描きたいものだけ描く!」と決めた。

 でもしばらくは「受かるための絵」を描いてた感覚が抜けなくて絵を描く気分にもなれなかった。

 なんでまた描き始めたんだろ?

 やっぱり自然に絵を描きたくなったんだろうなあ。悲しい時でも健康だったらお腹が減るのと同じで。

 他人に見せるあてもなく気ままに絵を描いているうちにわたしには奇抜な、誰も見たことのないようなすごい絵なんか描けないということにやっと気づいた。

 自分の中にないもんは出せない、なんて当たり前のことなのに、それまでは今描けないのはすごい才能はあるけどまだどこかで眠ってるだけだってずっと信じてた。

 そんな事実に気づいて認めたら、がっかりするよりなんだかすっきりした。

 無理したってすごい絵が描けないんなら気楽に普通の絵を描けばいいんだ、って許された感じ。他人に、というより自分が許してなかったんだと思う。

 わたしはすごいはずだから、普通の絵を描いて満足してちゃだめって。

 むちゃくちゃええかっこしい、というか己を知らんというか。

 けっきょく、わたしは人にほめられるような絵を描こうとして、しんどくなってたのかな。

 むずかしく考えることなかったのにねえ。

 「描く」という行為に集中して楽しんでりゃいいだけなのに。

 今でも他人の絵を見て「あんなふうに描けない」と落ち込んだりするけど、それでも絵を描くことをやめられないのは、どんなにすばらしくても他人の描いた絵を見るだけじゃ物足りないから。

 わたしはずっとどんなにくだらないものでも「わたしが描く絵」が一番見たくて、好きなんだよねえ。

 見事な親バカならぬ自分バカ。

 でもそれぐらいじゃないと絵なんて続けてられませんて。
わたしの絵(’08年4月12日)